「考える」とはどういうことか考えてみた
こんにちは。
個人的な人です。
私は、どうでも良いことを考えたり、持論を作るのが好きです。
昔は自分の持論を人に押し付けることばかりしてましたが、今は他人の考えを聞いて自分の持論をより良くしていくことに面白さを感じています。
みんな色んな考え方があって面白いです。
「考えろ」と言われたことありますか?
私は、今まで色んな人に「ちゃんと考えろ」とか「何を考えているかわからない」と言われてきました。
小学生のころから30歳になる頃まで言われてきて、「考える」って何だよと内心反発してきました。
特に、私の考えは他の人から「ずれている」ことがよくありましたので、ストレスだった時期もあります。
そんな私の個人的な持論を書いてみようと思います。
自分の中で、ある程度答えを出しておくと、無駄に反発せずに済みます。
今は、個性的だと自覚しながらも、ストレスをあまり感じることがなくなりました。
ちゃんとした学者ではありませんので、自己満足の域を出ないと思います。
色々な考え方の一つとして、読者の助けになれば幸いです。
まずは「考える」を分解してみる
「考える」とはどういうことかを考えていると、いくつかの要素に分けてみると分かりやすいのではと仮定しました。
実際に分解してみると
- 連想
- 比較
- 選択
の要素を組み合わせているだと思い至りました。
「何か」から「別の何か」を思い出し、「何かの基準」で比較して「何かを選び取る」ことが「考える」という行動だと思います。
「何か」ばかりだとよく分かりませんので、一つ一つ説明していきます。
「連想」する
「考える」の最初の要素は「連想」することです。
何もないところから、何も考えられないのは、「連想」することができないからです。
例えば、「リンゴ」という言葉から、しりとりのように「ゴリラ」と思い浮かべてみたり、有名な「アップル社のロゴマーク」を思い浮かべてみたり、色んな連想のしかたがあります。
言葉だけではなくて、匂い、味、触り心地、聞きざわり、見た目など五感を使って連想することもできます。
他にも、買い物する記憶など自分の行動からも連想することもできます。
1人1人連想するものや事柄が違っていて当然です。
ここで、共通した知識や事柄などがあれば、自分以外の誰かとズレることが少なくなるのではないかと思います。
ここでの連想は、1つの何かから、2つ以上の何かを連鎖的に思い浮かべるのだと思っています。
思い浮かべるものの数や多い人は、きっと発想力に優れた人なのだと思います。
また、思い浮かべるものが人と違うものが多いと、個性的な人、オリジナリティな人なのだと思います。
思い浮かべるものに正解も間違いもありません。
まずは、最初のキーワードであったり、目的を思い浮かべて、「連想」すると良いと思います。
「比較」する
「考える」の次の要素は「比較」することです。
一つのものでは、良いか悪いか分かりませんので、「何か」と「別の何か」を比較して良し悪しを思い浮かべます。
ここで比較する「基準」や「何と」比較するかで、その人の考え方が変わってきます。
「基準」を個人の自由にしてしまえば、人それぞれで良し悪しが変わってきます。
人それぞれで良し悪しを決めてしまうと、集団生活をする上で、話がまとまらなくなってしまいますので、「基準」にはある程度のルールが必要になってきます。
その場所や人、国など様々な「常識」と言われるルールです。
この「常識」と言われるルールが非常に厄介で、きちんと定まっていないのに当たり前にあります。
その上、自分自身で「常識」を探し続けないといけません。
人から教えてもらった「常識」はその人が探し出した「常識」であって、正しいかどうかは自分自身で判断しなければいけないからです。
さらに言葉通りの内容ではないことも多々あります。なぜその言葉なのか、どういう意図の言葉なのか、どのようなタイミングでの言葉なのか、様々な要因で「常識」はころころ姿形を変えます。
非常に厄介ですが、事実ですので、文句を言っても仕方がありません。
「常識」という大きな基準で話をしましたが、小さく絞っていくと、1つ1つは単純なことだったりします。
例えば、『信号機は青黄赤のランプがあり、進め、注意、止まれ』という単純なルールです。
『車がほとんど通ることのない田舎道にぽつんとある信号機と、車が交通量の多い都会の信号機とで、道を渡ろうとするのがあなただった場合、どうしますか?』という風にその場所での「常識」が加わえると、姿形が変わるのです。
その場所や状況で「常識」が違うのが分かっていただけたかと思います。
冒頭にある「よく考えろ」と言われることの原因の半分ぐらいは、その場での「常識」が違うということなのだと思います。
言われた側としては、知らない常識にそった基準で判断なんてできるわけがないので、手あたり次第試すしかありません。
言った側は自分の常識を前提に押し付けていないか、きちんと考えてください。
「選択」する
「考える」の次の要素は「選択」することです。
思い浮かべたものや、比較したもの、どの基準で判断するか、良いと選ぶことです。
自分にとって良いと思ったものを選ぶことで整理することができます。
逆に、選ぶことをしないと頭の中がぐるぐるしてしまいます。悩んでいる状態です。
これでは、考えをまとめることができません。
考えることも限界がります。私はこれを脳のキャパオーバーと呼んでいます。
キャパがオーバーしかかると、冷静でいられなくなったり、いつもと違う判断をしてしまったりします。
こんな時は、あとで後悔することが多いです。
私の脳はキャパ(限界値)が他の人より小さいのかもしれません。
特に20代、30代のころに比べて、早くキャパオーバーしている気がします。
それでも何とか、仕事を続けていられるのは、キャパオーバーしないように工夫する方法を知っているからだと思います。
方法はすごく単純です。悩んでいること、何を思っているかを紙に書くだけです。
連想したもの、比較している基準、比較しているもの、選ばないので、それらすべてを意識しながら、次の比較をしたり、思い浮かべようとするので、混乱します。
紙に書きだせば、頭の中だけで意識する情報が減るので、混乱しなくなります。
すごく効果的な方法だとお勧めするのですが、意外とやらない人が多いです。
考えたいとき、脳内を整理したいとき、考えをまとめたいときに試してみてください。
効果を感じたのであれば、続けるようにしてみてください。
まとめ
「考える」という曖昧な表現を私なりに分析して出してみました。
「よく考えろ」とか「何を考えているのか分からない」と言われたとき、「連想」、「比較」、「選択」のどこかが上手くいっていないかもしれません。もしそんなことを言われることがあれば、どこが上手くいかないのか意識してみると、どうすればいいかが分かるかもしれません。
みなさんが困ってるときにヒントになれば幸いです。